自分の感受性くらい
前回のダイアリーで「わたくしもがんばるぞ」なんてことを書きましたが、現在は毎日歌作りに悪戦苦闘しています。
広いテーブルの上に、歌詞を書くためのワープロと、曲を作るための打ち込みの機械を置き、メモ用紙をくちゃくちゃっと広げて、イスの上に正座して、腕組みをしたり頬杖をついたりしながら、うーむうーむと考え考え、ことばや音を探します。ばらばらのパズルを組み合わせる作業に似ているような。
なかなか進まない時は、気晴らしにネコを撫でます。それでも進まずに、むなしく時間だけが流れてゆく場合は、あきらめてチョコをぱくぱく食べながら、お笑い番組を見たりしてるうちに寝てしまいます。いかんいかん。
こないだは「曲作りが進まないのは、この部屋が汚いからなのだ」と、突然部屋が片付いていないことにイライラして、作業は中断、急遽部屋をそうじすることにしました。
ちょこっとおそうじのつもりが、いつしか大がかりに。力まかせに押入れの扉まで外して、大々的に整理をしていたら、中から最近読まなくなった詩集がいくつか出て来ました。その中から、中高生の頃わたしが大好きだった女流詩人たちの歌が集められた1冊の本を発見。ページを開くと、実にうつくしい言葉たちがたくさん目に飛び込んで来たのです。
高田敏子さん、新川和江さん、石垣りんさん、滝口雅子さん…戦後間もない時代に書かれた女性たちの歌は、奥ゆかしさの中にも凛とした強さのあるような、きりりとした詩。ああなんてうつくしい世界なんだろう。うっとりしながらページをめくっていると、茨木のり子さんのこんな詩を発見。
「自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」(一部抜粋)
この詩を読んだ瞬間、なんだか心をぴしゃり、とたたかれたような、そんな感覚になりました。厳しい先生にしかられた子どものような気分。
そうなのだ。なにが大そうじだ。押入れの扉など外している場合じゃないのだ。チョコなんか食べながら、だらしなくいねむりしてる場合じゃないのだ。
自分の感受性くらい―。
ハイ。
そしてわたしは背筋を伸ばし、またテーブルに向かいます。かたわらのネコは、いつだって夢の中。
窓の外、今夜はやさしい雨が降っているようです。


「自分の感受性くらい」
先月、沢知恵さんのコンサートでこの歌を聴いて、詩の内容に私もどきっとしました。
何かのせいにはしない。
全部自分の責任。
分かってはいるけど、ムズカシイ。
ななちゃん、歌作りがんばってください!
コメント by むっちゃん — 2004/11/29 月曜日 @ 23:05:43
やなせさん、ここからお話するのは初めてですね。不思議な感じ・・・。いつもダイアリー、楽しみにしています。気づかされること、胸をうつこと、悲しくなってしまうこと・・・。やなせさんの世界には、私にとって、たくさんの「きっかけ」があります。
やなせさんも、お掃除する中で、また、「きっかけ」を見つけられたんですね。
歌、絵、映像、そして日常の中に潜むたくさんの「きっかけ」が、やなせさんの歌の中にたくさんつまってる。だから私は昔から、やなせさんの歌が好き。
よく分からない書き込みになってしまったけど、遠くても、近くにいる人がたくさんいると感じる今日この頃。そんな中の一人のつもりでいる(笑)さとみでした!(^^)!
コメント by さとみ — 2004/12/5 日曜日 @ 21:18:53