『ひとり。』
ここしばらくの長い間、ダイアリーを全く更新していませんでしたが、実はななぽぽ、体調を崩していて、現在休養中なのです。ごめんなさい。
とはいえ、休養しながら「休む」のも、決して楽ではないな、と、ふとゼイタクなことを考えたりもするのです。
日頃、元気で動き回っているときは、働いたり、歌ったり、遊んだり…。疲れた疲れた、休みが欲しい、なんて言いながらも、日々はなんだかんだと慌ただしく、賑やかなもの。自分の孤独と向き合う機会など、持たなくても許される毎日を生きていますよね。
でも、ひとたび寝込んでしまうと、どこへも行けず、何もできず、誰にも会えない。弱った体で、ひたすら自らと向き合って、昼夜問わず、うとうとするのみ。
無力です。そして孤独。
やはり健康第一、と、ひしひし感じる今日この頃。幸い、わたしは身近な者が何かと面倒を見て、支えてくれているので、これで「孤独」だなんて言ったら罰が当たりますが(笑)。
でも、どんなにそばにいても、他人の痛みを引き受けることはできません。かみさまが与えてくださる苦難は、与えられた当人が、最終的にはたったひとりで背負うしかないもの。誰もその苦しみや痛みを、代わって背負うことはできないのです。
以前わたしが「シチュー」という曲を作ったとき、最初、歌詞の中に“君はひとりぼっちじゃない”という一文を入れていました。
この歌は、夫婦や家族の間に生まれるような愛を描いた曲で、共に暮らす中では、喜びだけではなく、悲しみも分かち合って生きてゆかなければならない、というようなことをテーマにして作りました。
“君は…”のフレーズは、愛しい人が悲しみに遭遇したときも、わたしはそばにいてあげるからね、と呼び掛ける、そういった意味で書いたのでした。
が、後にその一文は削除に。なぜか。
やはりどんなに近しい存在でも、人は皮一枚によって隔てられ、別々のいのちを生きている。どうあがいたって何者とも溶けて交わることのできない我々は、厳然たる“ひとりぼっち”だ、と思ったからです。そうじゃないですよー、なんて甘くて傲慢なこと、幻想だとわかっていて、果たして言えるだろうか。否、否、否!
そして「シチュー」は結局、愛しい者とテーブルを挟んで向かい合い、それぞれのかなしみを、黙って噛み締め合うしかない、という物語に変わってゆきました。おそらく、愛し合う真実はこちらにあると、今わたしは確信しています。
自分でない人のかなしみに、背を向けずに、向かい合う。たったそれだけのことしかできないけれど、だからこそ、それは素晴らしい愛の姿だと思う。
そばにいてくれる愛しい家族や友人に「ありがとう」と穏やかに言いながら、その背中を見送るとき、お願いだから行かないで、と、心のどこかで切望している、最近のわたし。
ひとりになりたくないけれど、ならざるを得ない瞬間の、なんとも言えないさみしさと、覚悟のようなもの。
死への旅路に向かうときも、人はそんな気持ちになるのかな、なんて。ぼんやり考えたりもして。
誰かの古いうたに、人はひとりきりで生まれ、帰るからこそ、だからこそあなたといっしょにいるんだよ、というような内容の詩がありました。
確かに、わたしもあなたも皆、何かに隔てられて、ひとり。
いつか遠い世界へと旅立つときも、かならずひとり。
ひとり。
それでも、いや、だからこそ、触れ合う誰かのぬくもりを求め、伝わる愛に、人はこんなにも感謝し、感動するのだ。
わたしも、ね。
追伸/来月からは完全復活しまーす。また働いたり、歌ったり、休みが欲しいなあ、なあんて傲慢な愚痴を言えるようになる日も、そう遠くはないと思います。
また新たな気持ちでがんばりますので、応援よろしくお願いします!

