Diary『たとえそれが劇的じゃなくても』
音楽を聴くことは、どちらかと言うと好きな方だと思うのですが、聴いて感動するものに巡り合えることは、そう頻繁にはありません。
そんなわたしが、つい最近、聴いていて心打たれ、不意に涙がこぼれてしまった歌、それは斉藤和義さんの「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」です。CD屋さんで流れていて、曲に惹かれて購入したシングル。よくよく聴くと、歌詞がとっても素敵なのでした。
物語は、ある男性の日常の1シーン。
主人公の「俺」は、おそらく20代後半くらいの年恰好のサラリーマン。仕事で街頭リサーチをしなければならなくなり、町行く人に声をかけるけれども、とにかく断られ、無視される。
がっくりしながらもアンケートを続ける彼。
暮れてゆく街角の大画面では、ボクシングの試合の中継が始まり、群衆が各々の想いを重ね、野次を飛ばしたりしている。ぼんやり見ていた「俺」はその画面に映るチャレンジャーに、自分の姿を重ねてみる。
そんな時、連敗続きだったリサーチ中の自分に、初めて「いいですよ」と言ってアンケート調査を受けてくれる女性が現れる。
彼女に受け入れられることで、肩の力が抜け、うれしくなる「俺」。
ふと女性の手元を見ると、親指あたりに“シャンプー”と書かれている。「俺」は何の気もなく思わずそれを読んで、“シャンプー”とつぶやいてしまう。すると女性は、今日は安売りの日なので忘れないようにメモしていることを教えてくれる。その言い方に思わず笑ってしまう「俺」。
劇的でも何でもない、ひとつの出会いが、彼の心にあたたかい何かを与えてくれる…。
物語は、ここに会社の先輩とのやり取り、という別シーンも加わって、ちょっとしたショートストーリーという感じ。歌詞を追いかけていると、ドラマのように風景が浮かぶのでした。
こうして詩の内容をつらつら書くなんて、あまり意味がなく、読んでいただいたところで、だから何なんだ、と思われてしまうかもしれませんが、それは単にわたしの文章力がないからなのであって、ですね、これがすごく良いのです。
結局、ここに広がるお話は、弱くて、ちっぽけな存在である「俺」が、ちいさな出会いによって、世界チャンピオンにも匹敵するようなしあわせを感じ、生きている実感をつかむ、というようなもの(だと、弱くてちっぽけなわたしは解釈しました)。
決して劇的ではない、ささやかなしあわせが、厳しい現実と共にきちんと描かれている。そこがたまらなく好きです。
単調でつらい日常に対する、愛。
弱いものの背中を押してくれるような細やかな、やさしさ。
リアルな描写と説得力のある、視点。
そういうものを、この歌からは感じるのです。それがわたし自身の日常とも重なって、じーんとしてしまった。別にわたしは20代の男性サラリーマンではないのですが、底に流れるものに共感したんです。そーよね、そーよね、つらいけど生きていたら、こんなにうれしくなる瞬間だってあるよね、だから生きてゆこうとまた前を向いて思えるよー、というような感じ。
何回も聴いて、聴くたびに違うところで涙が出た。こんなことは久しぶりでした。
さらに曲。ほとんど同じ4小節の繰り返しなんだけど、その和音がまた良いんです。
演奏は、リズム楽器にじゃかじゃかギターが基本。それはシンプルだけど力強く、小細工なしのストレート。その基本的な編成に、時折意思を感じる効果音的なものが加わって、ちょうど歌詞もそういう音が入る箇所は重要なことを述べている時だったりして、ぐるぐる回る音に感情が煽られたりして、絶妙なタイミングで心が揺さぶられる。ぐらり、ときちゃうんです。
曲、詩、アレンジ、演奏。その4つが相まって、表現が完成し、見事にそこに乗せられる聴き手の心。これぞ歌が、歌たる所以だ!とまた感動。
あー、願わくば、わたしもそういう歌が作れる作家になりたいものです。
ごちゃらごちゃらと書いてしまいましたが、とにかくいいんですってば。
機会があればぜひ、聴いてみてくださいませね。
そんなやなせ、音楽から元気をもらって、とある映像の収録のため、今週は都内のスタジオへ行って参りました。
何の映像なのか、というと、ひとことで言えば、仏教の映像です。ある大学の先生から、仏教に関する興味深いお話をたくさんお聞きして、それを映像をご覧になる人にご紹介する、ナビのような役で出演しました。いろいろ初めての経験があり、楽しい現場でしたー。
近日中にネット配信されますので、またこのサイトでもご紹介したいと思います。
どうぞお楽しみに…


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