New Album 「遠い約束」

Diary『ありがとうの決意』

このところ、一般の方にお越しいただくライブはお休みしているやなせですが、ここしばらくは、お招きいただくお寺でのコンサート、というお仕事で、あちこちにおじゃましています。
お寺でのコンサートは、仏教讃歌を唄うこともありますし、何より、通常のライブよりも、ずっとたくさんお話をします。
わたしは、人前でお説教ができるほど、エライ尼さんではありませんし、何より、その資格もありません。ただ、歌を作るきっかけになった出来事や、出会い、仏さまについて…自分なりに考えたことなどを、なるべくていねいにお話するよう、心がけています。

お寺でコンサートをすると、お話しているわたしが一番若いことがほとんどです。若輩者のわたしの話を、熱心に聞いてくださるおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんたち。
時々、ふっと恥ずかしくなることもあります。
えらそうに、信心について、生き死にについて、語ってよいものか。退屈されていないだろうか。生意気だと気を悪くされていないだろうか。
何度も繰り返し、各地で同じような内容の公演をしますが、回を重ねるごとに、自分の中では慣れも生じて来ます。必死でステージを行っているときとは違い、余裕ができて来ると余計に、これで良いのどうか、わからなくなり、迷いも生じます。

そんなわたしの元に、一通の手紙が届きました。
シンプルな白い便せんには、角ばっていて、実に一生懸命書いたであろうと思われるていねいな文字が、びっしりと綴られています。ボールペンに、精一杯の力をこめて書かれたのでしょう。便箋は一文字一文字、でこぼことへこんでいます。
それは、お寺でのコンサートを聴いてくださった、あるおばあさんからの手紙でした。

―コンサートの日は、降ってわいたようなうれしい一日となりました…
という出だしに始まって、おばあさんは、わたしが話した事柄ひとつひとつへの頷きを書いて下さっていました。
また、古い唱歌を、会場のみなさんといっしょに歌ったのですが、それがなつかしくて、うれしくて…と、歌を歌えた喜びも、そこには書かれていました。

そして手紙の最後は、
―心をこめて歌っていただき、心にいっぱいの、あふれるほどのおくりものをいただいて、ありがとうございました。
ということばで締めくくられていたのです。

わたしは、何だか申し訳ないというか、もったいないというか、そんな気持ちで胸がいっぱいになり、読んでいるうちに、涙が出て来ました。
わたしは、何もしていないのに―。あふれるほどのおくりもの、だなんて。それはこっちのセリフですよ。
迷っている場合じゃないな、がんばるしかないな、と元気づけられました。

今だからここにも書きますが、歌を唄って暮らすことは、正直言って、わたしにとって、決して楽なことではありません。むしろ、くやしいこと、つらいことばかりが続き、自分の心を麻痺でもさせなければ、到底続けられないのです。
歌手です、と名乗って、ああそうですか、と理解してくれる人はほとんどいません。わたしはひとりで歌っているだけで、肩書きも、所属している何かも、わかりやすい実績も、何も持っていないからです。
唄う場所は少なく、わたしの音楽が世間で必要とされていない、という現実は、大きな力でコントロールされたまま、なかなか覆すこともできません。
明日進む道すら、本当はどこにもないのです。

周囲の人に、よく言われるのが「もっと売れて、大勢の人に知られたらいいのにね」という言葉。
作品の良し悪しなんて、好みとタイミングだから、さして関係ない。有名になって、稼いで、テレビやラジオに出なければダメだ、と。
もっと嫌なことを言われる場合には「有名になったら協力できるのに…」という腐ったセリフ。

そんな認識の中で歌っていると、そうだ、前に進まなければ、と脅迫されたように思うこともありました。
このままじゃだめだ、このままでは…誰かと自分を比較し、自分の現状が恐ろしくなり、精神的にどんどん追い詰められる日々が、長く長く続いたのです。

でも、今は。
前へ進むことなど、くそくらえ。と思っています。
やなせは諦めました。挫折しました。そうご理解していただいて、どうぞどうぞ。結構毛だらけネコ灰だらけ。

ただ、わたしは、このおばあさんとのような出会いがある限り、歌を辞めることは決してないでしょう。

道から外れて、道端の草の上に座り、
そこで移り変わる景色を愛で、巡り会う人と語り、一歩も進まず、歌う。
そんなやり方が、たぶん自分には合っていると思うからです。
ありがとう、と言われて、
ありがとう、と応えることのできる、わたしになりたい。

うちのお寺の境内に、さざんかの花が今年も咲きました。
春はまだ、遠くで足踏みしているようですが、今日の空は雲ひとつなく、美しくどこまでも晴れ渡っています。

 

Diary『一期一会』

しばらくダイアイリーの更新が滞っておりましたが…読んで下さっているみなさま、ありがとうございます。
ぼちぼち、のんびりと更新してゆこうかな、と最近は思っています。
懲りずに見に来てやってくださいね。

さて、先週の日曜日は、cafe一期一会さんでのライブでした。昨年に続き、2度目の出演です。
寒い中お越し下さったみなさま、スタッフのみんな、ほんとうにありがとうございました。
今日の写真は、ライブ当日の、店内の不思議な雰囲気。
ピアニストに黒石純子さんをお招きして、演奏曲の半分はカバーという、いつもとはちょっと違うライブをお届けしました♪

これで、しばらくライブはお休みします。
お招きいただいた場所で歌ったり、イベントにゲスト出演したり…といったことは、変わらず続けて参りますが、自主公演の予定は当分ありません。
去年、必死でCDを作り、それを聴いていただきたい一心で、いろいろな場所で唄いました。そんな活動の中で、今自分が出せることは、一旦出しつくしたような気がしています。
これからは、次の歌の種をゆっくり育てて、届けたい気持ちが自分の中から溢れそうになったら、またライブやCD作りに奔走することになると思います。その折には、また応援よろしくお願いいたします。

というわけで、少し歩みをゆっくりにしようと考えたやなせ。
2005年10月から始まった、京都三条ラジオカフェの「やなせななのななぽぽラジオ」を、今月いっぱいで放送終了とさせていただくことにしました。
ゲストをお招きするようになって、約1年半。いろんな人の、いろんな話を聞かせていただいたきましたよ、ほんとに。
たくさんの出会い、人とのふれあいは、すごく楽しかったし、何よりも自分の心の勉強になりました。まさに一期一会だった。素敵な思い出になりました。

また、奈良県王寺町のFMハイホーでコーナーを持たせていただいていた「やなせななのほのぼのサウンド」も、こちらは母体番組の都合で放送終了となり、今後ラジオは、奈良市のならどっとFM「やなせななの夕空メロディ」1本になる予定です。お近くの方は、どうか変わらぬ応援を、よろしくお願いいたします。

最近、お世話になった人が重い病気にかかっていることが判明したり、お亡くなりになったり、ということが重なりました。
明日のことなんて、一寸先のことだって、ほんと誰にもわからないものですね。
だからこそ、今をたいせつに、悔いなく生きてゆきたい。
ひとつひとつの出会いを、だいじにしたい。
そう思っています。

ありゃ、何だかちょっと暗くなってしまいましたが…
やなせは元気です。
これからも、マイペースで、がんばります。
目の前の今を、大切にして。

Diary『髪を切った。』

相変わらず寒さ厳しき毎日。みなさまお元気ですか?
この度、ななぽぽは、髪をばっさりと切りました。
美容室のお姉さんには、「首元が寒くなりますから、風邪をひかないようにしてくださいね」なんて言われてしましました。確かに、ロングヘアーは天然のマフラーだったのに、春を待たずして散髪してしまったな。少し長めのボブに、ふんわりパーマを当てました。

実は、髪を切るのは随分と久しぶりなのです。
このホームページがオープンした2004年も、わたしの髪はロングでした。それどころか、遡って考えてみると、実に7年間、ずっと長い髪をしていたのです。

このダイアリーを読まれている、特に女性の方には、きっとご理解いただけると思いますが、髪は、一度伸ばすと、惜しくてなかなか切れなくなるんですよねー。何しろ、ある程度伸ばすのには、かなりの歳月を要しますから。

それに、実際ロングヘアは、乾かす際にやや時間がかかることを除けば、とにかく楽で、融通が利くのですよ。
ステージでは逆毛を立てて派手にできるし、ハーフアップにすればかっちりとしたスタイルに合うし、頭の上でくるりとおだんごを作ればカジュアルな若づくりスタイルも可能だし(可能なのか?)。
さらに、最近ではカンタン夜会巻き風まとめ髪をマスターし、仕事の打ち合わせや着物を着るときに、きりりとするそのスタイルを好んで作っていたのです。
たとえ寝ぐせでぼさぼさの時も、テキトーに結んでいればなんとかなるというのも、ロングの大きな魅力。
ヘアピンやかんざし、カチューシャ、コサージュなども大好きで、家には、何年もかけて買い集めた、いろんな種類の髪飾りを持っていました。
髪型をいじるのは、決して嫌いではなかったのです。

でも。
きのう、突然思いました。
鏡に映った自分の長い髪を見て。
もう、やめた。と。
それまで考えたこともなかったけど、だらりと肩下まで垂れ下がった長い髪が、とってもくたびれて見えました。猫背気味のわたしは、なんだかしょぼくれていて。
おい、しっかりしろ。
と、思わず声をかけたくなったのです。

失恋したら髪を切る、なんてことをよく言いますが、「髪を切るように生き方は変えられない」というフレーズが槇原敬之さんの歌詞にはありました。そりゃそうですよ。もちろん。髪の毛ごときで、人が変わるわけありません。わたしの猫背はなかなか治らないし、すぐしょぼくれて、なかなか立ち直れない困った性格も、どうしようもない。
でも、単純なものですが、髪を切ることが気分転換になって、ひょいと気合いが入ることもあるかな、と思って。
よし、もう何が何でも切る。と、唐突に決意。

そうして迎えた断髪式。
じょき、じょき、と美容師さんのハサミが髪に入れられるときは、やはりドキドキしました。
ぱさりぱさりと床下に落ちてゆく、さっきまで当然のようにすぐそばにあった、いとおしいわたしの一部。
サヨウナラサヨウナラ。
美容師さんのホウキでさっさと掃かれた髪の毛の、一番先っぽの方は、いつ生えたものだったんだろう。もう何年も前だったのかな。その頃のわたしは、いったい何を考え、誰と出会い、どんな夢を見ていたっけな、とか、おおまじめに、いろいろと考えてしまった。
いくら振り返っても、切ってしまったものは、もうくっつけられません。

そうして、数時間後、見慣れないワタクシと対面しました。
首周りが軽くなると、心まで軽くなったような。
人間まで新しくなったような。

そんなわけないよ。
きのうから続く、ちょっとやそっとでは変わらぬ、今の自分。
でも、体の奥の方から元気が湧いて来るのを、確かに感じました。

がんばるぞ。

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